知のめぐりは果たして良くなったのか?

第39回日本分子生物学会年会にて、「いかにして使えるデータベースを維持し続けるか?」というフォーラムをオーガナイズした。本来ワークショップ(今年の場合はシンポジウム)企画として提案したものの、落とされてフォーラムになったわけだが。そんなにDB、重要でないですか、このデータがものをいう研究をされている人たちばかりの学会で?そういえば2年前もワークショップ落とされて、さらにプログラム集にも載せてもらえないというひどい扱いであった。なんか、嫌われているらしい。

参加者は50人ほど。私自身はデータ流通業代表として、「DBの流通業10年目の今ー知のめぐりは果たして良くなったのか?」と題して、統合データベースプロジェクトとして始めてからちょうど10年の今にして思うことをつらつらと。

という具合にこの10年間で日本語のコンテンツは着実に増やしてきた。にもかかわらず、その本務では評価されているとは言い難い現実を語らせていただいた。「評価されていない」というのは競争的資金を取るときなどにやってきたことがプラスになっていないということで、この状況を予言するかのように6年前の2010年トーゴーの日に伊藤啓さんが「ショウジョウバエ脳の神経画像データベースFlybrain: 15年の蓄積と将来への課題」と題したご講演の中で指摘されていたことである。私にしたって、DBCLSとしてやった統合DBの仕事でなく、昆虫やハダカデバネズミでの個人研究で「評価」されるありさまなのは個人的にも身にしみて知っていることである。

DBを使っても引用されない、きっちり論文と同じようにDOI(Digital Object Identifier) もしくはウェブサイトのURLで引用せよということも言わせてもらった。それも上記の状況を助長している一因であろう。

論文による評価以外にDBをどうやって評価するか?というお題に対して維持されていたら論文出るようにすればいいというご意見もあったが、結局論文ベースの評価体系にすがるその場しのぎではダメだとつい(自分でわかるぐらい)熱くなってしまう一面もあった。

アクセス数というご意見もいただいたが、それはすでにやっており公開もしている。問題は、それをどう「評価」に活かすか、である。

「正攻法すぎる」というご批判もその後にいただいた。確かにそうだろう。でも、こういうことを議論する場が学会年会ではなかろうか?正攻法で大いに議論を盛り上げていかねばならない問題であろう。より多くの人が参加できる時間帯に、次回はさらに多くの人とこの問題を議論したい。


Written by bonohu in misc on 日 04 12月 2016.