Originally Collective Intelligence

代謝経路やシグナル伝達の知識なんて元々「集合知」(Collective Intelligence)。いろんな人が、いろんな組織や細胞種、さらには生物種で実験した「パッチワーク」。それらのデータの質をあまり吟味しないで「統合」するのも結構なのかもしれないが、それでは永続的には使えないだろう。典拠をしっかり示し、如何に分かっていないかが判るのも「データベース」の役割として今後求められるのではないだろうか。もちろん、ぱっと見では矛盾する事実が載っていることもあるかもしれない。単純化のレベルや立脚している仮説が違うとそうなるということがむしろ判る形の「データベース」。そういうものにしていくにはどうすれば良いのか?ただ、「集合知」で利用者の入力を促すだけではダメだろう。その辺、考えていきたい。


Written by bonohu in misc on 金 26 12月 2008.