RNA and I in 2005

執筆は2005年

RNAと私の10年

私事で恐縮だが、私は今年(2005年)、大学院に入ってからちょうど丸10年を迎えて区切りの年を迎えている。つまり、本格的な研究生活10周年を迎えたわけである。これまで、人との出会い、コミュニケーションに支えられて、ようやく「研究」と呼ばれるようになったものをやれてこれたと思う。文部科学省ゲノムネットワークプロジェクトの第一回公開シンポジウムの懇親会で、塩見春彦先生にこの原稿を依頼されたときに頭によぎったのが、人のつながりと研究の広がりである。こうして私が書くことになったのも、メディカル・サイエンス・インターナショナルの編集者の藤川良子さんに昨年(2004年)の分子生物学会年会で塩見先生を御紹介戴いたからだし、その藤川さんともCold Spring Harbor Laboratoryのキオスクで見つけたBioinformaticsの教科書を翻訳する際の縁で知り合いになったからである。この機会にRNAと私の因縁を中心に私の研究半生を書かせていただこうと思う。

私は情報科学系出身のように思われることが多いが、実際には大学院に入る前の半年間、卒業研究で東京大学教養学部基礎科学科の深田吉孝先生(当時)の研究室で、ウシの脾臓からcDNAライブラリーを作成して、Gタンパク質のγサブユニットの新規サブタイプのクローニングを試みていた。当時私がやるとRNAの実験はうまくいかず、「手からRNaseがたくさんでているんとちゃうか?」と言われたものだった。結局、目的の「遺伝子取り」はうまくいかないまま、卒業となってしまったが。その私が、今はマイクロアレイの実験で普通にRNAを扱っているものだから不思議なものである。

学部時代に様々な学問の触りばかりを教えられる教育を受けた私は、これまでとは違ったアプローチで生物学を研究することに興味を持つようになっていった。そんなある日、同じ学部の永山国昭先生(当時)の「生物物理学」の講義の時にトピックとして、「2005年にヒトゲノム配列解読が完了する目処がついた」とする新聞記事の切り抜きのコピーが配られた。国家プロジェクトとして取り組まれていたゲノムプロジェクトの話に魅せられた。学部卒での就職希望だった私だったが、同じ学部の先輩の一人がそれに近いことをやっている研究室に行っているという話を聞いて、見学に行った。まさにこれまでとは違う手法で生物学に対する研究を進めており、自分の興味に合致する研究室だった。その研究室こそが、京都大学化学研究所の金久研究室であり、1995年4月から私は大学院生として入門した。まずはキーボードをブラインドタッチで打てるようになるところから始めて、C言語やUNIX、そしてPerlとコンピュータを扱う基本を、とくに特別に教えてくれるわけではない先輩達から技術を盗むようにして覚えていった。今からすると、この5年間はRNAとは比較的無縁な生活だった。当時続々と発表されていた細菌のゲノム配列をインターネットを介して集めてきて配列解析を行い、ゲノムにコードされたすべての遺伝子の機能を予測することが自分の研究となっていった。その際、「遺伝子」と呼んでいたのはタンパク質配列をコードするものであり、RNAは比較の対象としてはほとんど注目されていなかった。これには核酸レベルで配列比較することがアミノ酸に翻訳して配列比較することよりも計算量が多く困難だったこともあるのと、コンピュータによる解析では全く新規なものを解析することは原理上不可能で、これまでに知られているものとの類似性を見つけられるところにその有用性があるからである

細菌のゲノム配列解析をやっているうちに、自分のやってきたコンピュータによる解析の有用性を、さらにゲノムサイズの大きく、ヒトにより近い生物で調べることに興味を持つようになっていった。大学院の年限の満了と同時にまだ学位が取れていないにもかかわらず研究室を飛びだした。そして、理化学研究所ゲノム科学総合研究センター遺伝子構造・機能研究グループで進められていた、cDNAライブラリーから得られるcDNAクローンを片っ端から配列解読するプロジェクト(マウスエンサイクロペディアプロジェクト)に身を投じた。cDNAライブラリーは大学学部生時代には自分でも作っていたが、それとは全くスケールが異なり、私自身がライブラリーを作ることも、シークエンスすることも一度もなく、ただ解読された配列情報を、当時利用可能な配列リソース(始めた当時はマウスもヒトもゲノム配列は利用可能でなかった)を使ってさまざまなコンピュータプログラムを組み合わせて配列解析をしていた。参加した当時はゲノム配列解読競争の激しい時期で少なからず巻き込まれ、ヒトドラフトゲノム論文(2001年2月)の一週間前の号に最初のマウスcDNA配列の論文を出したり、マウスゲノム論文(2002年12月)のときには相手方と協調して論文を出すことになってデータの遣り取りなどの裏方を務めたり、という形で夢だったゲノム配列解読プロジェクトにかかわることができた。

集めたcDNA配列は数が多くとても人手だけで整理して扱えるものではなかった。そこで、大学院時代に研究していた配列情報からの遺伝子機能予測の手法を一歩進めて、後から人手による注釈(アノテーション)も加えられるように、後にFANTOM(Functional Annotation of Mouse)と呼ばれるシステムを作っていった。この遺伝子機能アノテーションを付けるために開いた会議もFANTOMと呼ばれ(実は私がこの会議名の名付け親でもあったりするわけだが)、多くの研究者がかかわる国際共同研究へと発展していった。私個人の研究としては、理研マウスcDNAマイクロアレイのデータ解析に深く関わり、マイクロアレイ上のcDNAクローンに対して機能アノテーション情報を利用して得た結果から遺伝子機能を解析することに没頭していた。それらのcDNAは、原理的にはmRNAを逆転写して集めてきたものであったが、実際にそのDNA配列を読んでみてもタンパク質をコードする領域が見いだせないものが多数見つかってきた。現在それらはnon coding RNA(ncRNA)と呼ばれるものである。図らずもそれらのタンパク質コード領域を見いだせないクローンも作成していたマイクロアレイには載せていたため、組織特異的な発現パターンを持つncRNAを抽出することが図らずも可能となった(図)。ただ、あくまでもこれらはコンピュータ化された大量のデータから生物学的な知見に基づいてデータマイニングして得られたもので、それがすべて特定の臓器において何らかの機能を持つかどうかはわからない。実際にその遺伝子が何をしているかを個々に「生の」試料を用いて確かめていきたい。全ゲノムでいえることばかりに注目すればするほど、本当にそれが機能するのか、機能しないとしたらどういうメカニズムが他に考えられるのか、そう思いつめるようになっていった

縁あってFANTOMを一緒にやってきた理研時代の上司の岡崎康司博士と共に、現在の所属である埼玉医科大学ゲノム医学研究センターに移ることになり、これまでとは立場を逆にして公共データベースとして利用可能なゲノムスケールの大量情報からのデータマイニングした結果を、自らが個々に実証していく研究を始めた。遺伝子ネットワークからなる生命システムの保存性、とくに代謝経路の調節にかかわるシグナル伝達機構の遺伝子ネットワークの全容をまず解き明かそうと考え、「比較ゲノム」を主な戦術に掲げ、コンピュータ中(in silico)とチューブ中(in vivo/in vitro)での実験を現在進めている。大学院生の時に、コンピュータ上でタンパク質をコードしていると予測された遺伝子のアミノ酸配列だけに対して異なる生物種間での比較、すなわち比較ゲノムによって遺伝子の機能解析手法を研究していたが、現在ではそれらのデータの利用可能な生物種は増えているし、また別の種類(例えばマイクロアレイによる遺伝子発現情報)のゲノムスケールの実験データがコンピュータ上で利用可能となっている。この10年でコンピュータ上で「実験」するリソースは劇的に増えた。これらをうまく使っていくことは今後のキーポイントであることは現在では誰も疑わないであろう。しかし、コンピュータ上の「実験」が本当にその通りか、確かめていくことはこれからもずっと必要とされるだろう。私は、ヒトを研究するためのモデル生物として線虫を用い、道具としてマイクロアレイとRNAiを使うようになっている。いずれの手法にせよ、RNAに依るところが大きい実験道具である。まだまだ道半ばだが、RNAとの付き合いも、そしてそれを誘ってくれた人たちとの付き合いも、これからもずっと続いていくのであろう。もっとも、これからはそれを誘っていく立場になっていくのであろうけれども。

坊農秀雅(Hidemasa Bono): 2000年3月京都大学大学院理学研究科生物物理専攻単位取得退学。理化学研究所ゲノム科学総合研究センター基礎科学特別研究員を経て、2003年4月より埼玉医科大学ゲノム医学研究センター助手、2003年10月同講師、2005年4月より同助教授。京都大学博士(理学)。

ncRNA with tissue specific expression

図: Bono H. et al. Genome Res., 13, 1318-1323 (2003) のsupplement data 3 より。機能アノテーションの過程で'unclassifiable'と判定されたncRNAの候補となるcDNAクローンの遺伝子発現プロファイルだけを集めてSpotfire DecisionSite を用いて階層的クラスタリングを行った。


Written by Hidemasa Bono in about on 土 01 10月 2005.