データベースを作るということ

リトリートに参加してちょっと引っかかったことがあった。データベース(DB)を作るということに関する認識の違いである。 「DBを作る」というのは、おそらくこれまでのやり方では解釈できないぐらい多くのデータを集めたから、なのだろうが、それ自身が目的になってしまってはいないだろうか? そういったDBは、どう使うかを考えて作る場合とそうでない場合がある。後者のような場合には、そういったデータをインターネット上で公開したい、ということであろう。それならTogoDBを使えばできる。そのためにライフサイエンス統合データベースセンター(DBCLS)でこういったツールが作成され、サービスされているわけである。DBCLSはこのTogoDBのような研究開発を専門とするセンターであり、個別のDB作成を代行するセンターではない。 前者のような場合にはどう使うかを教えてくれないことも多い。まあ、そりゃそうだろうけど、それなのにどうしたらいいか教えてくれ的なことを言われたこともあり、大変困惑した経験がある。ひょっとしたら、独自の検索やかっこいいウェブサイトを作りたい、という意図もあるのかもしれない。はたまた、利用可能な公共DBとリンクしてマッシュアップしたコンテンツを、ということもあるだろう。それらを個別に考えるのまではさすがに難しい。2010年代の今は、そこまで含めて生命科学の研究であろう。 仮に作ったとしてもその後の更新はどうするのか?セキュリティ対策も継続してやっていかなければならない。つまり、基本引退するまでそのDBと付き合う覚悟が必要なわけである。生命科学系DBアーカイブというサービスがあり、スプレッドシート型のデータやそれに対応した画像データ等を永代供養してくれるサービスがある。ただ、この場合のDBはそれらの型が決まったデータであって、独自に作り込んだウェブサーバごと、ではない。 時すでに誰もがバイオインフォマティシャンの時代。公開したい生命科学者自身がDBの作成や更新をやっていくことになるだろう。実験デバイスの進歩によって、逆にUSB接続のDNAシークエンサーで誰でもどこでも塩基配列解読が行われようとしているのと同様に。


Written by bonohu in misc on 土 03 6月 2017.