Profile of bonohu

研究・教育遍歴

2020年5月現在。

大学

生物に興味を持つも、具体的に何をやりたいかは決めきれずに東京大学理科2類に入学。 進学振り分けの際も何を専門にしたら良いか決めかねて結局、教養学部基礎科学科第一という「教養学部の後期課程」の学科に進学。 そこで興味をもったのは量子力学、統計力学、有機化学、生化学、そして分子生物学だった。 分子生物学の実験研究者になることを夢見て、分子生物学で卒業研究を始めたものの、そこの大学院進学に失敗 してその夢は断たれる。

大学院

都落ちして心機一転、京都大学大学院理学研究科生物科学科(生物物理専攻)に入学。 京都大学宇治キャンパスにある京都大学化学研究所にて、黎明のゲノム情報科学に触れる。 折しも、その年(1995)の夏に Haemophilus influenzae のゲノムがfree-living organismのゲノムとして世界で初めて公表され、それのゲノム配列解析から研究を始めた。 その後、世界各地からぞくぞくと出てくるゲノム情報をインターネットを使って収集し、ゲノムスケールの遺伝子機能予測手段の開発とそれを使った解析、具体的には

  1. 酵素遺伝子の代謝パスウェイ再構築 (Bono H. et al. Genome Res., 8 , 203-210 (1998))
  2. His-Asp リン酸リレーシグナル伝達系(二成分系)のゲノム比較解析 (Bono H. et al. Genome Informatics 1998, 32-40 (1998))

に明け暮れる毎日を送る。 しかしながら、年限では学位は取れなった

理研

その後、理化学研究所 横浜研究所 ゲノム科学総合研究センター 遺伝子構造・機能研究グループに職を得て、cDNAマイクロアレイによる遺伝子発現情報を中心とした、理研マウス完全長cDNAの遺伝子情報解析全般を担当。 2000年秋につくば理研で行われた FANTOM (Functional Annotation of Mouse) meeting ( Nature , 409 , 685-690 (2001) )では、即席のバイオインフォマティクスチームを率いて、集まった50人のゲノム生物学者の意見をできる限り取り入れて機能注釈システムFANTOM+に仕上げた。 しかし、それは遺伝子発現データ解析のインフラ整備の一環でもあり、それを統合する遺伝子発現情報データベース(それらはREAD (RIKEN Expression Array Database)という名のマイクロアレイデータ解析システムとして構築した)も自ら密かに企てていた(ウェットな)実験への布石であった。 さらに2002年春の FANTOM2 (結果としてマウスゲノム論文とともに以下の特別号にarticleとして報告された Nature , 420 , 563-573 (2002) においてはチームプレーを行うことには違いないが、自らのポジションを「ボランチ」から「リベロ」に移して果敢にゴール(自分がFirst authorの論文)を狙いに行き、2本の「ゴール」、8本の「アシスト」を決めた。 しかしながら、結局 自らウェットな実験をする機会はここではついにこなかった

埼玉医大

2003年4月、それまでの直ボスの独立に伴ってそれに従い、埼玉医科大学ゲノム医学研究センターに職(ゲノム科学部門助手、同10月講師、2005年4月助教授、2007年4月准教授)を得る。 ついに念願のウェットな実験のできる研究環境を得て、ピペットマンキーボードの両方を使いこなす研究者として、現場での実験中心の研究生活となった。 「きしょい」プロジェクトと名付けた、基礎(私の場合、ゲノム生物学)と臨床を結ぶ医学研究は、自分自身の研究テーマとなった モデル生物を用いた疾患のモデル化研究 以外にも、研究所内、学内(大学病院と)、国内といった共同研究として強力に推進した。 しかし、この生活は長くは続かなかった。 研究を進めれば進めるほど公共データベースの不備に起因する問題にぶちあたり、その都度その場しのぎで乗り切っている現実に我慢ができなくなっていった

DBCLS

2007年7月、その年の4月に新設された新たな国立研究機関であるライフサイエンス統合データベースセンター(DBCLS: Database Center for Life Science)に異動。 主に 教育・人材育成を担当 し、データベースやウェブツールの使い方を動画で紹介する統合TVや、北は北海道から南は九州まで日本各地の大学や研究機関で統合データベース講習会・講演会を企画立案から実施まで行う仕事をこなし、2009年度には、発現統合プロジェクトに中心的に関わるようになった。 そして2010年度からは、ある程度軌道に乗ったプロジェクトは後進に託し、よりadministrativeな立場で統合データベースプロジェクトの推進に微力を尽してきたが、2010年度で同プロジェクトは終了。

2011年4月からはJSTのバイオサイエンスデータベースセンター(NBDC: National Bioscience Database Center)の基盤技術開発プログラム「データベース統合に関わる基盤技術開発」の下、遺伝子発現情報を中心とした大規模データの利用技術開発ならびに生命科学における統合データベースに関わるコンテンツの作成・整備 を担当してきた。 具体的には、次世代シークエンサー(NGS)からの出力のDBに対する目次サイトDBCLS SRAを作成したり、塩基配列に対しても簡単に検索のできるサーチエンジンGGRNAやCRISPR/Cas9によるゲノム編集のためのガイドRNAを設計するサイトCRISPRdirectを開発したり、発現統合プロジェクトの後継として遺伝子発現データセットを提供するサイトとしてRefExを構築してきた。

2014年4月、DBCLSとDDBJ (DNA Data Bank of Japan)のさらなる協力・連携体制の実現のため、国立遺伝学研究所に勤務地変更。 所属はDBCLSのまま、国立遺伝学研究所のなかに身を置き、データを活用するアプリケーションの開発 を行ってきた。 2017年度からは、DBCLS発足以来続けてきた遺伝子発現データ目次を発展させ、DDBJのGenomic Expression Archive (GEA)と協力してオミックスデータ目次(AOE)の構築・維持・管理が主な仕事となった。

それと並行して、公共DBを利活用した生命科学データ解析研究を、酸素生物学に関連した分野を中心に行っていた。 DBCLS外部の研究者との共同研究も進め、論文として公開し、プレスリリースするまでになってきた。 これまでDBCLSで推進してきた生命科学研究におけるインフラとなる高速道路はだいぶ出来てきたたので、インフラ維持メインの仕事を離れて自分も思う存分走って使い倒したい、そういう思いを強く持つようになっていった。

広島大学

2020年4月、縁あって広島大学 大学院統合生命科学研究科に、卓越大学院プログラム(ゲノム編集先端人材育成プログラム)においてバイオインフォマティクスを教える特任教員として赴任。 ゲノム編集データ解析基盤技術の開発並びに、バイオインフォマティクスによる遺伝子機能解析を研究テーマとするゲノム情報科学研究室も立ち上げた。

イニシャルはHB、まれにHUB。 それもあって、これまでbonoが使えない場合のアカウント名としてbonohuを使っていた。 このサイトのドメイン名(bonohu.jp)もそれ由来である。 それは実は Bono at Hiroshima University の略称だったことに気づく。

今後ともよろしくお願いします。


Written by Hidemasa Bono in about on 月 04 5月 2020.