KSCとスポーツ観戦ないつもの日曜日
Written by bonohu in misc on 土 10 6月 2006.
テレビをつけたら、中日vs日本ハム。つい、SHINJOの雄姿に食い入る。試合は僅差で日本ハムが勝った。
日曜日なので、いなげやに買い出し。四割り引きな冷凍食品を中心に。
夕方に一週間以上ぶりなKSC。ウォーキング1h/870kcal。筋トレもウォーキング前と後に2セット。
練る前にオランダvsセルビア・モンテネグロ戦。前半で力尽きた模様。
テレビをつけたら、中日vs日本ハム。つい、SHINJOの雄姿に食い入る。試合は僅差で日本ハムが勝った。
日曜日なので、いなげやに買い出し。四割り引きな冷凍食品を中心に。
夕方に一週間以上ぶりなKSC。ウォーキング1h/870kcal。筋トレもウォーキング前と後に2セット。
練る前にオランダvsセルビア・モンテネグロ戦。前半で力尽きた模様。
運動不足だな、多分。
0のつく日&週末なので、カルフールへ。ボディーソープの替え以外、買いたかったものは買えた。それ以外に値上がりが予想されるパルプ製品(ティッシュペーパー、トイレットペーパー)を一人ではカートで運べないぐらい買い込む。昼飯にデミグラソースのオムライスも。
その後、都内に10日ぶりに出かける。行きは快速急行にて。Rails関連の書籍2冊(詳細に関する本とスクリプト言語に関するレビュー本)を買う。知識として纏まった本は、ネットで情報が自在に収集できる現在となっても非常に有用なリソースだ。さくらやの上(たしか4階)でもPS2のソフトが売っているとは認識していなかった。その後は某反省会。やはり、上手く利用されていた感しか感じ取れない。さらに距離を置いていくこととしよう。帰りは21:30発の特急。
夜はワールドカップ。イングランドvsパラグアイ。着けた時にはすでに1点入っていて、リアルタイムにベッカム(Beckhamと綴ることを今日初めて知った)あのシュートが見られなかったのが残念。
ラボに来るまでフロントワイパーを動かしたのはたったの5回。撥水剤の効果は凄い。
梅雨入りしたらしい。楽しいはずの昼食外出も憂鬱に。レバニラ日替わり。なんと4日連続黄河だったりする。それのご褒美か、ちじみがサービスで出てくる。
身体が怠いので早めに退散。布団に入ってワールドカップの開幕戦を観ていたら、途中で寝てた。その可能性を予測して、テレビのオフタイマーを初設定しておいて役に立った。これからもそうしておこう。
そのわりには普通に起きて、普通に出撃。ただ、着いてから焦り出す。実際に見るであろう人たちのことを考えて、11ptだった申請内容を12ptに。その影響で図の配置が狂ったり。中身より、そういうフォーマットな部分に案外時間をとられる。〆切1時間前にとりあえずバージョンをアップするもの、最後の「抱負」欄が空っぽ。それを書き足したり、一通り見直したり。正午前にはなんとか最終版を無事アップ。通るといいのだが。
起きるとのどが痛い。Y君もそうだとのど飴を戴く。以前から部屋にホコリが溜まっているのが気になっていたので、掃除機をO君の助けを得て、かける。気持ち的にもすっきりした感じ。
mixiで中学校時代の悪友pomを捕捉。mixi上では珍しく、向こうからコンタクトして来た。鉄研つながりで、よく一緒に遊んだな…。とっても懐かしい。
KSCが休みの第一火曜なので、某申請書かきに勤しむ。仕事で遅くまでラボに残り、QOL的にはあまり良くないかも。
やはり、居室に自分以外の研究者がいるというのはいい刺激になる。まず第一にだらけない。また、彼らの質問に対して迅速に対応することができる。
プリントできない問題では結局ドライバの不適合が問題だったようだが、そういうノウハウは一度うまくいったときにきっちりwikiにでも文書化していく必要があることを強く認識した。
歓迎会はロッキーへ。少し熱っぽくて体調もよくなく、ジムはお休み。帰りに週末の車の汚れを洗車しに行ったらM夫妻とばったり遭遇。
(執筆は2005年)
私事で恐縮だが、私は今年(2005年)、大学院に入ってからちょうど丸10年を迎えて区切りの年を迎えている。つまり、本格的な研究生活10周年を迎えたわけである。これまで、人との出会い、コミュニケーションに支えられて、ようやく「研究」と呼ばれるようになったものをやれてこれたと思う。文部科学省ゲノムネットワークプロジェクトの第一回公開シンポジウムの懇親会で、塩見春彦先生にこの原稿を依頼されたときに頭によぎったのが、人のつながりと研究の広がりである。こうして私が書くことになったのも、メディカル・サイエンス・インターナショナルの編集者の藤川良子さんに昨年(2004年)の分子生物学会年会で塩見先生を御紹介戴いたからだし、その藤川さんともCold Spring Harbor Laboratoryのキオスクで見つけたBioinformaticsの教科書を翻訳する際の縁で知り合いになったからである。この機会にRNAと私の因縁を中心に私の研究半生を書かせていただこうと思う。
私は情報科学系出身のように思われることが多いが、実際には大学院に入る前の半年間、卒業研究で東京大学教養学部基礎科学科の深田吉孝先生(当時)の研究室で、ウシの脾臓からcDNAライブラリーを作成して、Gタンパク質のγサブユニットの新規サブタイプのクローニングを試みていた。当時私がやるとRNAの実験はうまくいかず、「手からRNaseがたくさんでているんとちゃうか?」と言われたものだった。結局、目的の「遺伝子取り」はうまくいかないまま、卒業となってしまったが。その私が、今はマイクロアレイの実験で普通にRNAを扱っているものだから不思議なものである。
学部時代に様々な学問の触りばかりを教えられる教育を受けた私は、これまでとは違ったアプローチで生物学を研究することに興味を持つようになっていった。そんなある日、同じ学部の永山国昭先生(当時 …